コラム “志・継・夢・承”
事業承継やM&Aにまつわる思いを
気ままに綴っています

2018年

“昭和”という時代が生んだこどもVol.14

“平成最後”というワードが世の中に飛び交い、2018年ももう終わりです。毎年、振り返ると、芸能人や政治家などの“2世”がなにかと世間で話題になります。芸能界も政界も非常に特殊な業界でありながら、親と同じ仕事を選び生業とする子がそれなりにいるのはなぜでしょう?親の意向?親の背中を見てきたから?親の遺伝子(DNA)を受け継いでいる?でも、みんながみんな親の才能を引き継いでいるとは思えません。そもそも、親(1世)の親も才能ある人だったのかというと失礼ながら大方はそうではないでしょう。スターと呼ばれた人の多くは戦後昭和の一般家庭に生まれた“普通の人”です。でも、夢をもって努力し、その才能を開花させて地位や名声を勝ちとった人たちなのです。だから、けっして親のDNAを受け継いでいるからというわけではないように思えます。

中小企業も同じです。親の仕事、つまり、“経営者”という仕事を息子が同じようにできるのかと考えたとき、今のオーナー経営者が戦後一代で築いてきたという、その“経営”という才能を本当に子息も受け継いでいるでしょうか?また、オーナー企業の経営者の家に生まれたから家業を継ぐ宿命にあると考えなくてはいけないのでしょうか?もちろん、老舗企業であれば、歌舞伎などの伝統芸能と同じで、継いでいかなくてはならない宿命もあるでしょう。

今の中小企業のオーナー経営者の多くは、昭和という時代に生まれ、戦後に創業し、昭和と平成という2つの時代を生き抜いてきた人たちです。昭和という時代があったからこそ今があるのであって、その多くの方は、親から受け継いだものを育て築いてきたのではなく、自ら創ってきたのです。だから、戦後の日本を築き、今の時代を生きる中小企業のオーナー経営者はみんな、“昭和という時代が生み育てたこども”、昭和以降の時代を築くために生まれた“昭和という時代のこども”です。

平成という時代もあと半年で幕を下ろします。1945年以降の『復興と成長の“昭和”』、1989年以降の『危機と停滞の“平成”』。中小企業のオーナー経営者の多くが“復興と成長の昭和という時代が生んだこども”であるならば、その子息は、“危機と停滞の平成という時代が生み育てたこども”です。“平成という時代が生んだこども”は、これからの、まだ知らぬ新しい元号の時代を築き支え託していく役割を担っています。
中小企業のオーナー経営者にとって、家業も社員もDNAも大切ですが、その守り方や残し方は1つではありません。子息が家業を継ぐことも、これからの時代を創っていく方法の選択肢の1つにすぎないのです。これから迎える新しい時代のためには、創業経営者としての責任はもちろんですが、“昭和という時代に生んでもらったこども”としての使命を果たさなくてはなりません。

以 上

<真>
2018年12月

「中小企業白書」 を読んだことがありますか?Vol.13

“白書”と言えば、まず何が頭に浮かぶでしょう?
そもそも“白書”とは、英国で内閣が議会に提出する報告書がその表紙の色から“ホワイトペーパー”と呼ばれたことに倣い、日本でも政府が作成する報告書の通称になったそうです。現在40以上はある“白書”のなかでもよく読まれているのが、『中小企業白書』です。

中小企業庁が、法律に基づき、日本の中小企業の動向を毎年報告するもので、2018年版で55回目の報告となります。かつては書籍として毎年3万部も売れていたそうですが、今は、全文が中小企業庁のホームページで閲覧可能で10万件を超えるアクセスがあるそうです。

2018年版『中小企業白書』は、中小企業の人材不足が深刻で大企業との生産性格差が拡大しているという危機感を踏まえて「生産性向上」がテーマです。「女性やシニアの活躍」「多能工・兼任化」「業務の見える化」など、“すぐ真似できそうな取り組み”から“理想としてこうありたいという取り組み”まで100社を超える中小企業の生産性向上への取り組みが例年以上にたくさん具体的な数字も交えて紹介されており、非常に示唆に富んでいます。

また、「生産性向上」というテーマの下で“M&A”も取り上げられています。生産性向上とM&Aがどうつながるのか?でも、確かに、既存事業を人材も設備もまるごと譲り受けて相乗効果を生み出そうというM&Aは、生産性向上の究極の手段ともいえます。さらに、自社だけではなく、仕入先など取引先も含めた業界全体の生産性向上を考える場合にも「M&Aによる再編」は有効な手段となります。

もはや、中小企業にとってM&Aが他人事ではなくなった今、中小企業の存続のカギが「生産性向上」にあるならば、“小さな工夫”からM&Aも含む“大胆な戦略”まで、考えられることにはすべて取り組む覚悟が必要です。

ちなみに、“白書”といえば“いちご白書”、荒井(松任谷)由実さん作詞作曲でリリースされた「『いちご白書』をもう一度」が思い浮かぶという、私と同世代の方、これは1960年代のコロンビア大学での学生闘争を描いたノンフィクションを原作とした映画の日本公開時のタイトルですが、原題は“The Strawberry Statement”ですので、“白書”とはややニュアンスが違います。

「中小企業白書」は、政府の“報告書”であると同時に、中小企業経営者やその支援者のための“手引書”であり、“現場からの声(Statement)の集大成”であるともいえます。書店にもありますし、中小企業庁のHPでも閲覧できます。ぜひ、全国各地の現場の“声”に触れてみてください。

・・・ちなみに、2018年版『中小企業白書』では、“事業承継ファンド”としては初めて、弊社の取り組みが紹介されています。中小企業向けの事業承継ファンドとして“お墨付き”をもらえた(?)ようで嬉しく、その“宣伝”も兼ねてのコラムでした。

以 上

<真>
2018年10月

“終わり”ではなく“生き方”を決めるVol.12

年に2回、盆と正月は、仕事を離れて、故郷で、家族親戚や友人とふれあい、社会人ではなく一人の人間に戻り、まさに“帰”って“省”みる“帰省”シーズンです。特に8月はお盆ゆえ、人それぞれの人生や思いが交錯する時期でもあります。

昔は“人生50年”でしたが、今では、男性の平均寿命が約80歳となり、介護等の必要なく自力で日常生活を送ることができる“健康寿命”の平均は71歳とされています。

中小企業経営者の平均年齢が約60歳になった現実からすると、既に多くの社長が、介護や病気と無縁でいられる健康年齢まであと10年。それも平均して10年ですから、もっと短い人も長い人もいるということです。

日本老年学会と日本老年医学会は、“高齢者”の定義を現在の65歳以上から75歳以上に引き上げるべきだと国に提言しました。現在、65~74歳の約1,766万人の前期高齢者は心身が健康で活発な社会活動が可能な“准高齢者”と位置付け、社会の支え手として捉え直すべきとしています。社会保障の問題はさておき、一般企業の多くは60歳が定年、再雇用義務化も65歳までと、65歳という年齢は“高齢者”として一括りにできない微妙な年齢です。

『定年って生前葬だな。』という意味深な書き出しで始まるのは、内館牧子さんの「終わった人」という小説です。50~60代のサラリーマンを中心に共感を呼び、2015年の出版からじわじわと売れ続けてベストセラーとなり、映画化もされました。定年退職後の日々の生活を描くなかで、『今までの人生とは違う人生がやってきたと思え』とか、『生きているのではなくて生かされているとわかる』など、定年が視野に入ってきたサラリーマンにとってはリアルに響き、心に刺さるフレーズが次々と出てきます。

“生死”を考えるということは、今の生き方を考えるということでもあります。体力が続く限り、倒れるまで経営者の座に留まるべきか?残された寿命を指折り数えるようなことはしたくはないし、これから迎える年齢を通過点と考えると、“第二の人生”は何歳から始めるのがいいか?帰省シーズンのこの時期、帰って省みながら、いつ“第二の人生”をスタートするかも考えてみてはいかがでしょう。

先の小説「終った人」には、『余生というが、人生に余りなどない』という言葉が出てきます。確かに、生きている限り、人生に“余り”も“終わり”もありません。サラリーマンのように定年がないオーナー経営者は、自らで、“終わり”を決めるのではなく、“生き方”を決めることが求められています。

以 上

<真>
2018年8月

“引っ越し”と“伝統”と“革新”Vol.11

引っ越しました!

会社を設立した2000年以来、日本武道館や靖国神社のある、東京都千代田区の「九段下」に本社オフィスを構えていましたが、この度、18年目にして初めて引っ越しをしました。

前のオフィスは、「築土(つくど)神社」という、940年(天慶3年)に平将門公を祀る津久戸大明神として今の大手町の将門塚付近で創建され、その後、7度の遷座を経て九段下に至るという由緒ある神社の敷地内の建物にありました。1994年の大改築で社殿と賃貸オフィスが一体化した構造となり、千代田区都市景観賞も受賞した現代的でユニークな建物でした。同じ敷地内には「世継稲荷」(1441年創建)もあり、子宝や後継者を願う人が参拝するなど“事業承継”という仕事とも縁の深い場所でした。

新しいオフィスは、同じ千代田区で「神田三崎町」ですが、実は、ここ、昨年まで「三崎町」という町名でした。1967年の住居表示法の施行に伴い、江戸時代から続いていた神田三崎町という伝統的な町名から“神田”という文字が消え、その後、2004年に“神田”という冠称がついた町名に戻したいという声が地元からあがり、以降、住民意向調査や34年ぶりの住居表示審議会、区議会決議など14年の年月をかけて2018年に神田冠称が復活しました。一部には、下町がイメージされることで不動産価格が下がると懸念する声もあったそうですが、半世紀という時を超え、地域や人と人とをつなげる絆として“神田”という町名を復活させた、地域の思いやパワーは、都会といえどもまだまだ捨てたものではないと感銘しました。

また、今回入居したビルのオーナーさんは、1914年(大正3年)創業の株式会社加藤文明社さんで、“印刷”や“文字”にこだわりつづけて100年超という業歴、まさに日本の印刷業の歴史とともに歩み、これからの100年を見据えて、教科書の印刷からデジタル化、クロスメディア化への挑戦を続けておられる会社です。2015年竣工の8階建てビルは、機能やデザインも先進的で、“歴史と伝統を積み上げる”というコンセプトで各階がブロックを積み上げた“本棚”をイメージした外観となっており、窓は上階ほど広く“上昇感”が演出されたデザインになっています。また、このビルの敷地は、明治時代に開設された劇場“三崎三座”の一つ“川上座”の跡地でもあり、“加藤”と“川上座”のKにSTAGE=“舞台”で、人が集まり、情報発信の場となることを願って、「K-STAGE」と名付けられたそうです。

ということで、引っ越しを通じて、様々な“歴史”を感じることができました。『地域や歴史への敬愛』、『新旧融合』、『伝統と革新』といったキーワードは、事業承継にも通じるものです。

今後も“歴史と思いのこもった町とオフィス”で“事業承継”という意義ある仕事を“ファンド”という新しい仕組みでお手伝いしていきます。

以 上

<真>
2018年6月

“次のトップ”は誰ですか?Vol.10

春、人事の季節です。そんなときに、ふと思い出すのが、“イワシの群れ”です。
水族館に行かれた際に、巨大な水槽で銀色に輝くイワシが群れをなしてうねり泳ぐ姿を目にされたことがあるかと思います。“イワシトルネード”とも呼ばれる、この群れ、例えば、名古屋港水族館は3万匹、大阪海遊館は5万匹、横浜八景島では7万匹のイワシが群れをなしているそうです。この迫力ある魚群の先頭を泳ぐ魚は、まるで何万人もの社員を率いる大企業のトップさながらですが、生物学的には、この先頭の魚は群れを率いているリーダーというわけではなく、魚群が向きを変えるのも、群れの中でお互いの動きを感じあいながら向きを変えているようです。

ちなみに、この魚群の先頭の魚を掬って、突然いなくなったらどうなるか?その時に、次のトップになるのは二番手で泳いでいる魚ではなく、そのずっと後ろの集団からどこからともなく出てきた別の魚になるとのことで、先頭になる魚がどこでどう決まるのか、不思議です。

ということで、『イワシと一緒にするな!』と叱られそうですが、今、みなさんがお勤めの会社や取引先で、突然、組織のトップである社長がいなくなったときに“次の社長”が誰になるかは予想がつくでしょうか?あるいは、オーナー経営者の方であれば、自分の後釜、“次の社長”はもう決まっているでしょうか?No.2の専務でしょうか?それとも、群れの真ん中あたりからオーナー社長のご子息が出てくるのでしょうか?

たとえNo.2がいたとしても『社長の器としてはピンときていない』、あるいは、息子といえども『正直、経営者としての資質があると思っていない』というのもよくある話です。であれば、無理に繰り上げなくても、あるいは、息子でなくてもいいのではないでしょうか。順番でも血のつながりでもなく“できる人材”がトップになるべきです。でないと、本人にとっても社員にとっても不幸な話、取引先にも迷惑な話です。何万人もの社員で成り立つ大企業ならともかく、中小企業のような小さな群れはトップ次第ですぐに散り散りになったり、丸呑みにされてしまいます。

最近では、3社に2社の割合で、親族以外の役員・従業員や社外の第三者に事業承継する、いわゆる“親族外承継”を選択しているとされています。これまでの延長線上で考えられる時代ではなくなった今、本当のトップが必要です。

そんなことを思って魚群をみると、イワシものんびり泳いでいるわけではなく、止まることもできずに必死で泳いでいるように見え、魚も人も同じだな・・・と少し勇気をもらった気にもなります。

春、新しい季節までもうすぐです。それぞれの次の一歩、勇気を出して踏み出してみてください。

以 上

<真>
2018年3月

事業承継の計、今こそ!Vol.9

新年を迎えるにあたり、オーナー経営者のみなさんに、昨年1年間を振り返っての10の質問です。

  1. ① 大きな病気や怪我はしませんでしたか?
  2. ② ご自身や家族に大きな変化やイベントはありませんでしたか?
  3. ③ 個人で保有する資産に大きな増減はありませんでしたか?
  4. ④ 会社の経営環境に大きな変化はありませんでしたか?
  5. ⑤ 会社の業績は順調でしたか?利益を残して現金が増えましたか?
  6. ⑥ 会社の株主に大きな変化やイベントは起こりませんでしたか?
  7. ⑦ 会社の借入や個人の保証債務に大きな増減はありませんでしたか?
  8. ⑧ 会社の役員の顔ぶれは変わっていませんか?
  9. ⑨ 後継者候補は見つかりましたか?育っていますか?
  10. ⑩ 事業承継について誰かと話や相談をしてみましたか?

さて、いかがだったでしょう?“YES”の数が多ければ多いほど、平穏で前向きな1年だったのかと思います。大過なく終えた1年であったなら、それが一番幸せなことです。でも、昨年は何もなかったから今年も平穏無事という保証はありません。平時にこそ有事の準備をしておくべきです。

一方で、けっして穏やかな1年ではなく、いろいろと大変な年だったという方もいらっしゃるかと思います。よくこんなにいろんな事が起きるな、続くものだなと思うときもあります。でも、変化はあって当たり前、事が起きてからの対応はもちろん、経営者として事前に準備できていたこともあったはずと思えることはないでしょうか?

1年が経ち、また1つ確実に年齢を重ねたことだけは揺るぎない事実です。オーナー経営者としては、『まだ大丈夫』『もう限界』という状況下ではなく、『まだ早い気もするけど』という状況でないと、自らが思うような事業承継は実現できません。必要に迫られ、限られた選択肢のなかから慌てて答えを選ばざるをえないという形ではなく、心身ともに健全で余裕がある時に、会社や社員のことをしっかり考えて、会社と自らが進む道を決めるべきです。

もう、“今年こそ”などと悠長なことを言っている場合ではなく、“今!”と言うべきかもしれません。

社長にしかできない仕事です。『事業承継の計、今こそ!』です。

以 上

<真>
2018年1月