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会社設立25周年 記念と感謝のメッセージ(2025年10月24日) |
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2000年10月24日の当社設立から25年を迎えることとなりました。 25年という節目のメッセージですので、やや長くなりますことを先にお伝えしておきます。 「一期一会」 2025年10月24日は、特別なイベントを行うこともなく、これまでの25年のおおよそ9,100日を超える日々のうちの一日と同じ一日として迎えました。 本来なら、25年の感謝の気持ちをみなさんに直接お伝えする場を設けることが望ましいとは思いながら、その一方で、これまでお世話になった方をはじめ、ひさびさにお逢いしたいと思う方、心ならずも不義理をしてしまった方、悲しいかなもうお目にかかれない方など、一期一会を重ねてきた25年、出会ったみなさん一人ひとりに、そして一人でも多くの方に『ありがとう』という感謝の気持ちを伝えたい思いもあるなか、面と向かってでは限りがあるゆえ、こうしてここに書き記すことで一人でも多くの方に感謝の気持ちをお伝えできればと考えた次第です。 そして、何年後でもいいので、なにかの拍子に、このメッセージにたどりついていただき、ここでまた繋がることで、重ね重ねてきた感謝の気持ちがそっと伝わればいいな、と願っています。なので、また、何年経ってからでもいいので、『メッセージを読んだよ』と、みなさんの知るJPEの誰かに声をかけていただければ嬉しい限りです。 「ありがとうございます」 日本アジア投資、日本M&Aセンター、日本政策投資銀行という錚々たる株主を資本背景としてきた恵まれた会社ではありますが、その株主の資本や企業規模とは比べものにならないほど小さな会社で、大きな会社になれないままでいます。 でも、この25年で、素晴らしい方々と出会って一緒にファンドを組成したり、ありがたいご縁を得て多くの上場企業やグローバルな企業の方々とM&Aをしたり、会社の規模とは関係なく、ファンドという仕事を通じて、かけがえない経験をさせていただくことができました。 これまでやってきたファンドの仕事は、ビジネスとしても確りと成り立つと同時に、志高く、社会的意義も果たしてきたからこそ続けさせていただいているのだと自信をもちながらも、驕ることなく、コツコツと、できるだけ誠実にと1年1年を積み重ねてきた四半世紀です。 ただ、残念ながら、四半世紀を経ても、このバイアウトファンドという仕事は、中小企業にはまだ浸透しきれていません。そうしたなか、こんな小さな会社が、長きにわたり、ファンドという仕事を続けてこられたのは、ファンドに出資をしてくださったみなさん、投資先を託していただいたオーナー経営者の方々、投資先を託し託された事業会社の方々、共に成長を目指した投資先企業の経営者や社員のみなさん、オーナー経営者との縁を繋いでいただいたネットワーク先の方々、そして、JPEを産み育ててくださった株主3社、これまでJPEで一緒に仕事をして縁をもった役員や社員など、本当に多くの方のご支援あってこそだと心より感謝申し上げます。 「37の物語」 この25年間で11のファンド、総額286億円を組成し、37社の中小企業の株式と経営を引き受け、社員の方々と一緒に会社をみがきあげ、よりよい会社にして、次の世代につないできました。こうしたファンドの仕事は、“37の物語”を綴ってきたようでもあります。 そのうち、29の物語は、投資先を“卒業生”として送り出し、既にファンドの手から離れたことで、JPEが担ったパートは書き終えています。今は8つの物語を書き綴っている最中です。 一つ一つの物語は、オーナー経営者が書かれてきた、例えば30ページ(年)だったり、なかには代々続いて80ページ(年)以上の歴史が綴られたりしているものであり、ファンドが、そうした物語を引き継ぎ、ほんの3~7ページ(年)を新たに書き継いでいきます。長い長い物語のほんの数ページではあるものの、この数ページで、会社の歴史が大きく変わったり、広がったりして、物語は途切れることなく続き、さらに、新しい書き手によって綴られていきます。 中小企業の経営は、いつになっても大変なものですが、一社一社にそれぞれの歴史があり、物語があり、後世に残っていきます。その物語の数ページにでも、株主として、また経営として関わり、なにか書き記すことができれば、そして、後々、その物語に関われたことを秘かにでも誇りに思えるようならと懸命に書き綴ってきました。 買って、売って、終わりではなく、託され、託して、そして、そのあとから書き綴られる物語がさらに盛り上がり、面白くなるように、自分のパートをどう書き終えて、次につなぐか。書くことはもとより、筆をおくことが難しい仕事と痛感してきた25年でもあります。 「ファンドという仕事」
JPEは、会社設立以来、“ファンドマネジメント会社”であることに拘ってきました。 また、出資者の方は、お客様であると同時に、時に、運用のパートナーともなります。例えば、東京都やふくおかフィナンシャルグループ、三洋電機、JR四国(敬称略)といった方々とは、それぞれ、新しい発想でのユニークなファンドを一緒に組成することができました。相互に信頼関係を築ける“お客様”があってこそ、ファンドマネジメント会社を続けることができます。 こうして、プライベートエクイティの世界では今では当たり前となっている“ファンド(投資事業組合)”ですが、その誕生の歴史は、JPEのルーツでもあります。 日本の投資事業組合の歴史は、日本のベンチャーキャピタルが、ファンドで投資をできるようになった年、1982年から始まります。 野村證券からJAFCOの社長・会長、日本アセアン投資(現・日本アジア投資)の社長・会長を務め、両社を上場企業とした、日本のベンチャーキャピタリストの草分けである今原禎治さん、また、今原さんとともに、アメリカのLimited Partnershipの仕組みを日本に持ち込み、民法の組合による「投資事業組合」を“ファンド”という制度として成り立たせた齋藤篤さん、このお二人によって、リスクをとって投資をするという当たり前のことが、日本でビジネスとしてできるようになりました。 1989年、私がまだ23歳の時にこのお二人に出会えたこと、その後、日本アジア投資でベンチャーキャピタル投資を通じて“ファンド”という世界にどっぷりと浸かれたことが、今でも“ファンド”という仕事を続けられている礎となっています。 ただ、尊敬し崇めるほどの近いようで遠い存在だったお二人と出会った頃、お二人の年齢が当時60歳前後であったこと、翻って、今の自分が当時のお二人の年齢に近づきつつあることを顧みると、改めて、その偉大さに驚嘆します。そして、自分の至らなさを嘆きながらも、今からでもまだまだ何かできるという希望を見出しもします。 日本で“投資事業組合”が生まれてから40年以上が経ち、今では、投資事業有限責任組合に関する法律も整備され、ベンチャーキャピタルも一つの産業となりました。日本のベンチャーキャピタルにもまだまだ課題はたくさんあるものの、だからこそ進化し、成長を続けています。そして、ファンドは、未上場企業を対象とした投資=プライベートエクイティというマーケットで、バイアウト、事業再生、成長投資、セカンダリーなどの分野で広く活用されています。 一方、ファンドの一つ一つを運営する現場では、決して今までと同じようにはいかないこともたくさん生じています。時間が止まったままになっていること、制度疲労を起こしていることもあります。でも、だからこそ、プライベートエクイティという世界のなかで“ファンド”という仕組みを、そして、その存在を、時代に合った形に進化させ、成長させていくことが求められています。 「ファンドの時代」 未上場企業を投資対象とするファンド、いわゆる“プライベートエクイティファンド”は、社会でも認知されるようになりましたが、中小企業の世界では、まだ、“ファンド”に抵抗感があるオーナー経営者も少なくありません。 ただ、この25年で、中小企業の事業承継や成長戦略の手段としてM&Aが定着し、M&Aを業とする上場企業も増え、中小企業の事業承継の世界が大きく様変わりし、M&Aビジネスが成長を続けるなか、“中小企業のM&A”もベンチャーキャピタルと同様、一つの“産業”になったといえます。そういうなかで、ファンドも、後継者不在の中小オーナー企業にとってM&Aの買い手候補の一つとして位置付けられるようにはなりました。 ただ、これからは、買い手候補としての選択肢の一つではなく、ファンドがもっと、土俵の“まんなか”で仕事をする時代になってくるように思います。 成長を続けるプライベートエクイティというマーケットにおいて、既に、ファンドは不可欠なものとなっていますが、それは、多くが“手段”としてのことです。もちろん、“主役”でなくていい、“裏方”でいいのですが、裏方としての存在意義やありかたが本当に認められるようになれば、ますます、ファンドの活用の機会、いや、活躍する機会が増えるものと考えます。 「投資家」「資本を求める企業」「ファンド運営者」の三者がいて、その三者をつなぐのが“信頼”です。相互に信頼され、託し、託されてこそ成り立つのが、ファンドという仕事です。そして、お金が介在することでファンドビジネスとなり、ファンドに関わる人が、みな、三方良し、場合によっては、四方良しとなります。 ファンドはお金儲けの道具ではなく、社会的意義とビジネスを両立させることができる存在であると理解され、何兆円!といったファンドの規模の話だけではなく、大きくとも、小さくとも、その存在の真の意義やありかたが正しく広く知られ、認められ、求められるようになれば、いよいよ、“真のファンドの時代”の到来です。 「前途」 JPEが、中小企業の事業承継や事業再編にまつわるバイアウト投資を始めてから25年の間に、37社に投資、うち29社が卒業していますので、“託された会社+託した会社”の累計は66社となり、実質66社のM&Aに携わってきたといえます。ただ、たったこれだけかという反省と後悔が頭をよぎります。
自分自身が歩んできた、日本のベンチャーキャピタル投資や中小企業へのバイアウト投資という道は、いずれも、歩き始めた当初は、まだ“けもの道”あり、“道なき道”でした。 こうして歩んできた人生ですが、途中、歩いているはずの坂道がいつの間にか緩やかになったような不思議な感覚に包まれることがあります。そう何度もあるわけではないのですが、その時に包まれていたのは、『結局は“人”』という想いです。 『結局は“人”』というのは、ごく当たり前のことで、日々感じていることでもあるのですが、この感覚が心身に沁みわたり、ある種の“域(ゾーン)”に入るような感覚でしょうか。けっして諦めとかではなく、それまで歩みを進めてきたなかで、改めて確信として体感し、“踊り場”にたどりついたような感覚です。 ただ、その“踊り場”の先に、けっして道が拓けているわけではありません。はっきりとした道があるわけではなく、まさに“道なき道”ですし、もしかしたら、見えているのは陸ではなく、海なのかもしれません。 なので、JPEも25年が経ったからどうこうというわけではなく、これからの真の“ファンドの時代”に、また、道なき道を行く、あるいは、プライベートエクイティという大海を小さな舟で航海する、そうした想いで将来を望むなら、今、大きく、ゆっくりと舵をきる時であるように思います。 30歳で30年先を語れる人は稀ですが、60歳で30年先を語る人も稀です。でも、それぞれが考えることや行動することを諦めなければ、未熟さを乗り越え、また、老いに負けずに、それぞれが描く30年先を重ね合わせることもできるでしょう。そこには、新しい未来が見えてくるはずです。
5年前の20周年の感謝のメッセージは、コロナ禍で、この先、世の中がどう変わるかわからないというタイミングでしたが、その時は、 新たな投資家、新たな経営者、悩めるオーナー経営者、夢を共に描ける人、まだまだ、出会いたい人や出会えていない人がたくさんいます。 この先、人生で三度目の『結局は“人”』という境地にたどりつくまで、また、一期一会、人との新たな出会いのなかから、JPEの前途を見出していきます。 今後とも、変わらぬご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 |
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会社設立20周年にあたって(2020年10月24日) |
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2000年10月24日の当社設立から20年を迎えることとなりました。
会社設立当時、私自身は33歳。事業承継を語るには若輩者でしたが、20年という歳月のなかで出会いと経験を重ねながら、ようやく、事業承継に悩むオーナー経営者の方とかなり近い年齢となりました。
会社としては、創業時から今日まで、“中小企業”に特化した事業承継・事業再編ファンドとして、投資方針や基本理念を変えることなく、「ファンド組成」「投資」「経営」「継承」という、ファンドとしての仕事に日々向きあってきました。
この先10年はさらに見通しづらいものとなりましたが、歩みを止めるわけにはいきません。今、日本の全ての経営者に、『変えるべきことはなにか?』 が問われ、さらに、『捨てるべきものはなにか?』『生み出すべきものはなにか?』 という根源的な問いが突きつけられています。よって、経営者一人一人には、今までにないほどの重い覚悟と厳しさをもって現実を受け止め、今だからこその難しい判断を下し、前に踏み出す勇気が必要とされています。
これまで積み重ねてきた経験と出会いこそが当社の財産であり、強みです。20年という時間のなかで出会った、多くの方々に支えられて“今”があることを胸に刻み、皆様との出会い、ご縁に感謝し、そのご恩に報いるために、これからも、投資家や経営者に求められる限り、そして、そのニーズと期待に応えられる限り、粛々と、力強く、「前進」と「進化」を続けてまいります。
災禍においても、夜は明け、朝日は昇り、青空は広がり、季節は移ろい、人は齢を重ね、時代は変わっていきます。 |
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会社設立15周年にあたって(2015年10月24日) |
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2000年10月、“中小企業に特化したバイアウト・ファンド”を運営するため、日本アジア投資株式会社と株式会社日本M&Aセンターの2社による合弁会社として設立してから15年が経ちました。変化の激しい時代に、“ファンド”という事業を変わることなく15年も続けているとは、正直、設立時には想像していませんでした。 実際、この15年で、私たちの会社が、売上や社員数で大きな会社になったかというと、そういうわけではありません。ただ、多くの方々との出会いとご縁に支えられながら、「ファンドの組成」「投資」「経営」「継承」・・・という日々を繰り返して、今があるというだけです。一つ一つ組成してきたファンドが積み重なり200億円になり、一つ一つ譲り受けて支援した先が23社になり、一つ一つバトンタッチして継承した卒業先が18社になったという足跡があるだけです。 ただ、こうして 「オーナーから譲り受けて次へと託す投資先企業」と「投資家から資金を集めて還元するファンド」という2つを繋ぎ、そのなかから得られた経験と積み重ねた歴史が私たちの財産であり、15年という歴史を語れることこそが、私たちの強みであると考えています。 この経験と歴史のなかから、私たちは、「中堅・中小企業に特化した事業承継・事業再編ファンド」として、
という、3つの確信を持つに至りました。 だから、これからも、オーナー経営者や投資家に求められる限り、そして、そのニーズと期待に応えられる限り、歩み続けていきたいと思います。 時代の移り変わりを感じると同時に、時代は繰り返している、とも感じます。ただ、間違いなく、これからの15年は、過去に誰も経験したことのない“世代交代”の波が、確実に、そして勢いを増しながら日本の中小企業に押し寄せてきます。私たちにも、今まで以上、あるいは、今までにない役割や解決策が求められることになるでしょう。 私たちの仕事は、ファンドを通じて、「中小企業の資本と経営の継承」を実現することです。この仕事は、“終わり”が“始まり”であり、ゴールも終わりもなく、無限に続く“ループ”のようです。だからこそ、これからも、求められる限りは、ファンドとしての使命を果たすため、変化対応し進化を続けていきます。 まだまだ短い歴史ではありますが、この15年、同じ時代に生き、出会った皆様への感謝の気持ちを込め、心から御礼を申し上げます。そして、同じ時代に生き、これから出会う皆様との縁を楽しみにしています。これからも、中小企業の資本と経営に関わるドラマを一つでも多く生み出し、一つ一つの終わりと始まりをつなぎ、未来へと紡いでいきたいと思いますので、今後とも変わらぬご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。 |
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新体制について(2013年11月11日) |
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1.日本政策投資銀行の資本参加について 政府系金融機関の株式会社日本政策投資銀行(DBJ)がJPEに資本参加、出資比率35.6%を保有する株主となり、 株式会社日本M&Aセンター(出資比率36.1%)に次ぐ、第2位株主となりました。 DBJの信用力や資金力に加え、地域金融機関をはじめとするネットワークも相互に活用し、 積極的に連携を図ることで、引き続き、ファンドマネジメント会社として中立性を確保しながら、 「拡大する事業承継ニーズへの対応」 と 「地域金融機関との連携強化」を進めてまいります。 2.「JPE4号ファンド(事業承継ファンド)」設立について
中小企業の事業承継・事業再編に関わる投資に特化した
「JPE・プライベートエクイティ4号投資事業有限責任組合」(JPE4号ファンド)を設立いたしました。 今後、“事業承継支援投資” の成功事例を各地域において創り上げていくことで、 “事業承継ファンド”を起点とした一連の取り組みを「地域密着型金融の1つのビジネスモデルとして確立」し、 中小企業の世代交代を資本面から支援します。 3.千本倖生氏の取締役会長就任について 千本倖生氏は、1966年 日本電信電話公社(現NTT)入社、 1984年に第二電電株式会社(DDI/現KDDI)を京セラ・稲盛和夫社長(現名誉会長)とともに共同創業した後、 慶應義塾大学経営大学院教授を経て、1999年以降は、イー・アクセス株式会社やイー・モバイル株式会社を創業され、 現在は、イー・アクセス株式会社の取締役名誉会長という、まさに“挑戦と創造”を繰り返しながら、 今の日本の通信業界の姿を築かれた、日本でも稀有な起業家経営者です。 最近では、ソフトバンクによるイー・アクセスの買収も話題になりましたが、 千本氏が残された“会社を興し、会社を託す。”という足跡は、中小企業の事業承継にも通じるものがあり、 その“挑戦と継承“のDNAを多くの中小企業経営者と共有し、JPEと共に実現していくために、 取締役会長に就任していただきました。 事業承継問題を抱える中小企業の経営者が、オーナーとして、あるいは、経営者として、人生の節目で何を考え、 どのように事業継承すべきなのかを問いかけ、悩みを共有し、将来を見据え、 共に道を拓いていくための一翼を担っていただきます。 以上、ファンドマネジメント会社として必要不可欠な 「資本(信用)」 「ファンド(資金)」 「経営(実践)」 という3つの要素を再構築し、強化した新体制で、これからの時代に臨みます。 JPEでは、引き続き、“志を継いで、夢をカタチに。夢を継いで、新たなる時代へ。”という変わらぬ企業理念の下で、 日本の中小企業と国内産業の世代交代を資本面から支援し、次の世代へと継承していくことに努めてまいりますので、 今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。 以上 |
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会社設立10周年記念(2010年10月24日) |
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これまでの10年・・・ 2000年10月、弊社は、日本アジア投資株式会社と株式会社日本M&Aセンターの合弁会社としてスタートしました。今や両社とも東証一部上場企業となり、各業界を代表する企業ですが、弊社は、錚々たる大株主の下でも、MBOファンドとして、投資先の経営陣の自立や独立を支援することが責務である以上、弊社自身も大株主に依存することなく、“自立”を常に意識しながら、この10年を歩んできました。弊社自身が“自立”を実践することができた背景には、“株主の理解と経営との信頼関係”があったからこそと考えています。 この“株主の理解と経営との信頼関係”は、弊社がMBO投資をおこなうにあたり、投資先の株主という立場から自らにも求められている課題であり、投資先の経営陣や社外から派遣されたマネジメント人材の方、社員の方々と共に“資本と経営のあり方”について考え、共に成長する10年でした。
“志を継いで 夢をカタチに。夢を継いで 新たなる時代へ。” こうして、この10年間で得た言葉、大切にしてきた言葉が、「自立」「調和」「継承」 の3つです。 これからの10年・・・ “変えるべきでないものと変えるべきものとを見極め、変えるべきでないものは変えず、変えるべきものは変えていく”ことが、弊社がファンドとして、また、投資先の株主として果たす役割と考えてきました。これからの10年も環境が大きく変わり、変化のスピードも速くなるなかで、弊社自身も変えるべきでないことは何か?変わるべきことは何か?を常に自問自答しながら歩んでいきます。
この3つは、これからも変えてはいけないこと、変えるべきでないことと考えています。
MBOとは、出資者や投資先をはじめ、MBOに関わる当事者の方々すべてが幸せになることができるビジネスであり、“社会的意義”と“事業利益”が両立しうるビジネスであることをこの10年で立証することができました。 |
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会社設立5周年記念(2005年10月24日)(敬称は略させていただきます。) |
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2000年10月、弊社が、日本アジア投資株式会社と株式会社日本M&Aセンターの共同出資により設立され、当時としては非常に珍しい、合弁形態のファンド運営会社の先駆けとしてスタートできたのは、株式会社日本M&Aセンターの分林社長、三宅副社長のご協力とご理解の下で、その価値観を共有できたことによるものです。 2001年5月、まだ生まれたばかりのこの会社の運営にあたって、企業経営には“理念”が必要であると心の底から気付かせて頂き、企業としてのあり方を考える契機を与えて頂いたのは、株式会社ブレインゲイトの酒井社長との出会いを通じてでした。 2001年11月、弊社にとって第1号ファンドとなる『事業承継・第二創業支援ファンド』が立ち上がり、中小企業へのMBO投資を目的に組成された初のファンドとして、その先駆けとなったのは、組成から運営まで共に携わってきた、株式会社あおぞら銀行のご理解とご協力によるものです。 2002年3月、弊社の最初の投資先となった、株式会社シーズメンの椛島社長はじめ、現場で真面目に一生懸命に仕事に取り組む社員の方々の姿勢や行動からは、弊社が中小企業のMBOに携わるなかで必要なことを学び、現場において忘れてはいけないことを、再認識させて頂いてきました。 2003年8月、日本の中小製造業が有する“匠”の技術を日本に残し、継承していきたいという思いから生まれた『TAKUMI継承ファンド』は、その理念を共有して頂けた、三洋電機株式会社のご協力とご支援により立ち上げることができ、共に運営を行い、当初の思いを着実に具現化しています。 これまで後継者問題に悩むオーナー企業の事業承継に伴うMBOをご支援してきたなかで、わが身同然の会社を託す先として、私共ファンドを信頼して選んでくださったオーナー経営者の方々に対しては、これまでのご功績に心から敬意を表し、感謝を申し上げますと同時に、新しいオーナーとして事業を託され継承していく責任の重さを痛感しています。 また弊社ファンドを株主として信頼して頂き、ファンド投資先の経営陣へと転身を図り、これまでのご経験を活かして経営手腕を思う存分に発揮されているマネジメント人材の方々におかれましても、その熱意とパワーには頭が下がる思いがいたします。
その他にも、わずか5年とはいえ、弊社と理念を共有して頂いた多くの関係者の皆様との交流があったからこそ、今のJPEがあるものと心から感謝して、改めて御礼申し上げます。まだまだ緒についたばかりの会社であり、新しいマーケットへの挑戦は続きますが、大きな可能性を秘め、多くの方に感謝されるであろう仕事であると確信しております。 |
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